私はキッチンに立ってみた。
結婚して20年。実は一度もここに立ったことがないことに気がついた。
朝は早く、帰るのも真夜中。休日に仕事に出かけることも多く、たまの休みには「疲れた」と言っては寝ていた。
料理は女の仕事。そう思っていたし、妻も文句も言わずに私の好きなようにさせてくれていたのだ。
少し曇ったガラス越しに、家の小さな庭の山茶花の木に夕陽が当たっているのが見えた。
下校時刻の小学生の子供たちの声が聞こえてくる。
私はくたびれた水道の蛇口をひねって水を出した。鍋に水を入れて水栓を閉めると、蛇口ががくんと揺らいだ。
「なんだ、こんなにも傷んでいたのか。」
そういえば妻が「使いにくいの」とこぼしていたかもしれないが、
ほんの今までそんなことは忘れてしまっていたのだ。
この家は私の親から受け継いだ。もう建ててから50年くらい経つのだろうか。
家に関心のなかった私は、ろくに手を入れてこなかった。家も設備も何もかも古いままなのだ。
今朝、妻が倒れた。
子供たちを送り出した後、たまたまいつもより遅く私が出かける前に、急に具合が悪いと言ってキッチンにうずくまってしまったのだ。
慌てて救急車を呼んで、妻は病院に運ばれた。
幸い命に別状はなかった。疲れが溜まっているらしく、少し入院が必要との診断だった。
一人で家に戻った私は、古いこの家がこれほどまでに静かだとは思っていなかった。
変わらないと思っていた当たり前の毎日は、こんなにも簡単に変わってしまうのだ。
そういえば妻が「ご近所がリフォームするんだって」と羨ましそうに話していたことがあった。
私はろくに相手にしなかったが、本当は「うちもやりたい」と言いたかったのかもしれない。
古くてくたびれたキッチンの窓辺には小さな花が飾ってあった。
鍋やフライパンも古くなってはいるが綺麗に磨き上げられている。
そして私は帰ってきた妻に言うことを決めた。
「そろそろリフォームしようか。」
『父のテントウムシ』
実家は町の自転車屋さんだった
昔は、今のような大型量販店の自転車屋さんなどなくて
町の人はうちの店で自転車を買うのがあたりまえで
店には新しい自転車がいつも並べてあった
子供用の小さくて補助輪がついてある自転車
男の子に人気だった変速機付きの自転車
ハンドルの変わった競技用のような自転車
いつもピカピカに輝いていてかっこよかった
工具入れには いろいろなの工具がいっぱいで
それらを使う父は
とてもかっこよかった
空気入れなんかは家庭用とは違いコンプレッサーで動くやつで
大きなプシュー という音が出て特別にかっこよかった
父に頼んで近所の友達と何度も遊んだものだった
そんな店も高校生になった頃からだろうか
新しくできた大型店の影響で次第に静かになってしまい
パンクの修理だけしている父の後姿の記憶に変わってしまった…
ピカピカだった自転車は
いつの間にか 型遅れの自転車ばかりが並び
壁のポスターも色あせてしまっていた
父の自転車屋は
私が継がなかった為にそのままで空家になっている
久しぶりにシャッターを開けると
昔と変わらない油の匂いがした
自転車は全て引き上げて1台もなかったが
父の工具入れと
色あせたポスターは昔のままそこにあった
そして自転車の代わりに止まっている変わらないものがもう一つ
父がずっと乗っていたテントウムシ
スバル360がそこに佇んでいた
うっすらと埃がかぶってはいるが昔のままだ
店の中に入るくらいな小さな車体は
改めて今見るとなんとも小さな車だ
この大きさで4人乗りで
休みの日は父の運転で家族であちこちドライブに行った思い出がある
その丸みを帯びた車体はなんとも言えない愛くるしさがあり
最新の性能を追求する私の勤める自動車メーカーの車とは何かが違っていた
父の大切にしていたこのテントウムシ
私に動かなくなったこいつをもう一度蘇させることができるだろうか
定年まであと半年
ようやくできるだろう自由な時間
私は ずっと心に決めていたようにこいつをもう一度蘇させることにした
いや
この家をいっそリフォームして、こいつの整備できるガレージと
空いてる部屋も綺麗にして家も蘇らせて住めば
いつでも自由にこいつをさわることができるじゃないか
今や息子達も社会に出て夫婦二人で住むマンション暮らしより
何か新しい暮らしが始まる気がする
こんな話を妻は聞いたら笑うだろうか…
いや 妻の好きなガーデニングもこの家ならできるだろう
そういえば中庭にテーブルを出して紅茶を飲みたいなんて言っていたな
妻の顔を浮かべながら
今夜話してみようと私は思っていた